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じつはこれ、完全に私の自論だったりするんですが、
『人生は、波』だと思うんです。
(いきなり壮大な話になってスミマセン)
1人1人がそれぞれ自分の波を持っていて、
その幅や、高さも人それぞれです。
そして、波と波が交わったとき、人は出会う。
それから、交わり重なっている間は、繋がりがあり、
交わりが終われば、別れてしまう。
そして、自分の波は変えることができても、
人の波は変えることができない。
これが、私の考える“人との繋がり”です。
そして実は、、
今ある”人との繋がり”は、そのほとんどが環境によって作られたものだったりします。
例えば、
中学校や高校の同級生や、部活の先輩・後輩、
大学のゼミやサークルの同期や先輩・後輩、
これらは、中学や高校、大学、
部活やサークルという環境があったからこそ、出会い、成り立っていた関係です。
だから、卒業や解散などによる環境の変化や、
メンバーそれぞれの成長とともに、”人の繋がり”は変わっていくのが自然ですし、
「変わらないように」と押しとどめようとしたところで、
そうして維持される繋がりからは歪(ひずみ)が生まれ、それは時間とともにだんだんと大きくなってしまいます。
同じ時間は二度と戻ってきません。
しかし、だからこそ、想い出が輝くのだと思います。
環境が変わり、
波の交わりがなくなり、離れてしまう。
それが自然ですが、
その中で時々、関係が変わらない人がいます。
それが親友や家族というものです。
こういう関係の人達は、お互いの波が違っていても、
その向いてる方向は同じです。
逆の言い方をすれば、
『生き方として、向いてる方向さえ同じなら、再び交わることもある』
ということですね。
本当に縁があるのであれば、
別れたとしても、タイミングが来たら、また出会います。
私も、実際に大学時代の友人と
「お前とはもう会わねーわ」
と大げんかして別れたものの、
2年くらい経って、お互いに成長してから再開し、
なんだかんだ、また仲良くやってますし、
大学時代に一番仲の悪かった後輩とは、
(飲み会中にケンカで場をぶち壊すくらい)
今、同じ方向に向かって活動してるので、かなり仲が良かったりします。
私もまだまだ若輩と呼ばれる世代。
だから「これが正しい」なんて言うつもりはありませんが、
私は、“人との繋がり”って、こういうものだと思います。
今別れるのは、とても寂しいかもしれないけれど、
これがお互いに成長して次に会うときの準備だと思えば、なんとなく前にすすめるんじゃ無いでしょうか?
ぜひ、笑顔で「またね!」と送り出してあげて下さい。
そして、
本当にその関係を続けていきたいのであれば、
「みんなで会える機会を企画する」などのアクションはとれるはず。
それでも、
縁のない人は来ないでしょうし、
縁のある人は、ギリギリでも来ます。
縁のある人との関係であれば、
自分次第でどうとでも変えていける。
そんなもんだと思います。
あなた未来に、良き繋がりのあらんことを。
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